織田信長公に会いに行こう!
昔から行きたかった場所の一つに安土城がありました。
2024年10月6日に多治見市で開催のバイクイベント「縁」を見に行く機会がありました。ちょうど道中にあるので、いい機会です。
5日の9時3分に自宅を発進して、亀岡、京都、大津を経由して、琵琶湖の東側を北上し、14時8分に安土城跡に到着しました。
受付を通って、すぐ右手に前田利家邸跡があります。「こんにちは」。
向いにあるのが、羽柴秀吉邸跡です。「はじめまして。」
大手道を登っていくと、「ひと鐘に願いを込めて」の立て札とともに、鐘をついてよい鐘楼がございました。人生50年~・・・とつぶやきながら、鐘を撞きます。良い音色です。
眼下に田園風景が見えます。鐘の音と共に、日本の情景が心いっぱいに広がります。はるか遠くに山が見えるのですが、そこまで広がる城下町を作る予定があったようです。
急な坂の石段が続きます。脚が衰える前に来れて良かったです。ちょっとしたハイキング気分。森蘭丸邸、本丸跡をすぎ、天主跡へ登って行きます。
いよいよ、天主跡へ到着です。ヤッタァ~♫
礎石が並んでいます。この上に安土城の柱があって、その柱が五層七階の天主を支えていた・・・と当時あったであろうお城を脳内でイメージします。他の人から見れば、空中をボ~と眺める変な人であったのだろうと思いますが・・・。
天守閣の裏手から琵琶湖を望みます。当時の琵琶湖はお城の傍まで広がっていたようです。
天正7年5月に安土城天守閣が完成したようです。そして明智光秀の謀反により天正10年6月2日、織田信長は京都本能寺で最後を迎えたと言われています。安土城は混乱の中、同年6月15日天守などを消失、落城したようです。
信長さん、天下布武の目的を眼の前にしながら、さぞ無念であったろうにと思います。また、新築の自分のお城をろくに住めないまま、わずか3年で失うなんて、お気の毒です。新築の香りしただろうなぁ・・・。天下統一後、広がる城下を見ながら、または朝日に輝く琵琶湖を眺めながら、老後を過ごせたのにね。権力者のお気持ちは解りようもないのですが、感想は庶民的なものとなりました。
帰路は三重塔と仁王門を通って、秀吉邸跡に戻ってきます。立派です。
徳川家康公に会いに行こう!
15時16分に失礼して、発進。関ヶ原を目指します。
16時20分に現地到着し、石田三成陣地跡に向いましたが、何やら大会があるようで、通行止めでした。ぐるっと廻って行こうとしましたが、やはり無理。諦めるしかございません。
岐阜関ケ原古戦場記念館に目的地を変更し、駐車場に停めて、向いましたが、16時30分で終了していました。10分ほど間に合わず、ここでも、入場できませんでした。残念。
仕方ないので、記念館そばの徳川家康最後陣跡に参上仕りました。戦の後、討ち取った首の見聞を最後に行った場所ということです。ん~。恐ろしや。
17時13分失礼仕って、当日のお宿である東急INに18時10分に到着し、一日を終えました。
昔の偉人に会いに行く、歴史散歩も良いものです。姿は見えないけれど、お会い出来たような気分となりました。もし今まで現地を観光していなければ、次の休日に会いにいってみませんか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。